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[読書録]不格好経営

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読んだ本

不格好経営 (日本経済新聞出版)

感想サマリ

DeNA創業期から2013年頃までのDeNAの歴史が、創業者の南場智子さんの視点で書かれている。
南場さん自身の視点からの生々しいエピソードが多く、ベンチャー企業の創業者はどんなことを考えているのか、どんなことに悩んでいるのかがよくわかる。
対象読者としては、DeNAの歴史に興味がある人、ベンチャー企業の創業者に興味がある人、経営者のプライベートに興味がある人、などがいいのではないかと思う。
ニュースでも取り上げられた、南場さんの夫の病気のエピソードも書かれているので、家族と仕事の両立に悩んでいる人にもおすすめできそうな本に感じた。

内容メモ

1章 立ち上げ

「そんなに熱っぽく語るなら、自分でやったらどうだ」という、ソネット社長山本泉二社長の言葉

働き盛りの36歳。まさか自分がマッキンゼーを辞めるとなどとは想像もしていなかった

仲間を増やそう。ということで、川田とナベにひとりずつ連れてくるように言った。条件は自分より優秀なヤツ

開発が完了したはずのその日に、実際はコードが1行も書かれていないことが発覚した

南場さんの旦那さんからのアドバイス

  1. 諦めるな。その予算規模なら天才が3人いたら一ヶ月でできる
  2. 関係者、特にこれから出資しようとしている人たちに、ありのままの事実を速やかに伝えること。決して過小に伝えるな
  3. 「システム詐欺」という言葉をやめろ。社長が最大の責任者、加害者だ。なのにあたかも被害者のような言い方をしていたら誰もついてこないぞ。

最初の負荷テストは、部屋にいる6人全員で入札ボタンを押すというものだった

2章 生い立ち

わが家ではすべての重要な意思決定は父により行われ、父から理由の説明がなされることはなく、また決して翻すこともなかった

父と絶縁してでも留学に行こうと覚悟していたが、学科長の男性教授が何時間もかけて父とゆっくり話をしてくれた

MBA取得後は米国の投資銀行に就職する予定でいたが、難病の母が気になり、日本のマッキンゼーに戻る選択をした

辞める覚悟で臨んだ「最後」のプロジェクトがこうしてうまくいき、約9年間マッキンゼーに残ることとなる

3章 金策

ビッダーズは、1999年11月生まれた

私生活の貧乏は貴重な体験としてプラス思考で真摯に処されたし。父からの手紙の一文

2002年2月末、ヤフーがオークション利用料の値上げを発表した。

これから起業しようとしている人には、他社から大きな割合の資本を導入することは慎重に考えるようにとアドバイスしている

普通に物事が回る会社、普通にサービスや商品を提供し続けられる会社というのが、いかに普通でない努力をしていることか

2003年3月期の下半期、DeNAは黒字化を達成した

4章 モバイルシフト

川崎はひとりで、しかもたった2,3ヶ月で感動するほど使いやすいモバイルオークションサイトをつくってしまった

DeNAはしっかりとした黒字事業のビッダーズと伸び盛りのモバオクをもって2005年2月、東証マザーズに上場する

過剰なリスク回避は別の災いを招く

2005年の夏ごろだが、私は2011年3月期の数値目標を打ち立てた。売上高1,000億円、営業利益200億円。当時は売上64億円で着地した年度のまっただ中

(テレビCM施策において)私の執拗な嫌がらせに負けずにやり抜いた池田に皆が感謝し、「任せる」と言って途中で邪魔をした私は感謝と猛省をした

批判に反論することがゴールなのではない。ゼロになるまでやる。その決意と努力を貫かねばならない。

DeNA Quality

  1. デライト(Delight)
  2. 球の表面積(Surface of Sphere)
  3. 全力コミット(Be the best I can be)
  4. 透明性(Transparency & Honesty)
  5. 発言責任(Speak Up)
5章 ソーシャルゲーム

ソーシャルゲーム事業は、ゲームの経験を問わず「若手エース」というキーワードで集められたメンバーで始まった

怪盗ロワイヤルは、2011年5月には1,000万人を達成。売上高は月間数十億円というお化け事業となった

何かをやらかした人たちに対する対応は、その会社の品性が如実に表れると感じる

2010年12月の公正取引委員会の立ち入り検査(中略)本件は半年後に公正取引委員会から、競争者に対する取引妨害という判断が下された

グローバル事業に命がけで取り組む、我が社の英語力は惨憺たるものだった

2010年10月には、米サンフランシスコのngmocoという会社の買収を決定した

震災発生してから3日感で大阪拠点設置の準備、本社機能の一部移管、現金資産の保全など次々と手を打った

6章 退任

2011年4月30日、夫が癌を告知された

あまり家庭らしさのない夫婦で、互いに仕事を最優先にそれぞれ勝手にやってきた

いくつか決めていたことがある。

  • 辞めなければならない事情のときに自ら社長を退任する。
  • 近い遠い、可愛い憎たらしいにかかわらずベストな人物を選ぶ
  • 代表取締役は次のリーダーひとりとする
  • 佐長退任後は新しいリーダーシップ体制を全力で思慮深く支援する

守安を代表取締役社長、春田を会長とし、私は非常勤の取締役としてボードメンバーに残るという次の体制を伝えた

7章 人と組織

社長時代の私の時間の使い方はというと、「社長の一番大事な仕事は意思決定」

意思決定については、緊急でない事案も含め、「継続会議」にしないことが極めて重要だ

創業当初はよく戦略の方向を5つくらいの案に絞り、社員の皆と一緒に評価して決めていた。

実行しているうちに、「やっぱりB案だったのかなあ」と誰かが言い出し、皆がホワイトボードを思い出す。そして、皆が不安になり自然とブレーキがかかる

検討に巻き込むメンバーは一定人数必要だが、決定したプランを実行チーム全員につ話すときには「これしかない、いける」という信念を前面にだした方がよい

事業リーダーによって、「正しい選択肢を選ぶ」ことは当然重要だが、それと同等以上に「選んだ選択肢を正しくする」ということが重要となる

今ある情報だけでも決めようとする事業会社の管理職出身のクラスメートと、材料がそろうまで踏み出せないコンサルタントの自分の違いに気づくことができた

DeNAでは、「誰が言ったかではなく何を言ったか」という表現を用いて、「人」ではなく「コト」に意識を集中するように声を掛け合っている

8章 これから

国内外にかかわらず、あと10年もすれば、組織に属して仕事をするスタイルは主流ではなくなるだろう

私たちチームDeNAは評論家でもなく行政官でも政治家でもなく、事業化集団だ

あとがき

社員の数だけ個性があって夢がある

46億年の地球の歴史のなかでDeNAの歴史はまだたったの数年だ